新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
今回は、COFFEE BREAK 3の続きです。
さて、ジョン・ネイピア(1550ー1617)の対数の底
1-1/10000000
これにどんな秘密が隠されているのでしょう。
今の表記の仕方で表すと
log(1-1/10000000)(sinθ)の値が Logarithms(対数=回数)です。
ネイピアは、当時小数が普及していないことから、このsinθに当たる部分を10000000倍した
sinusθ=10000000(1-1/10000000)^Logarithms
の式を用いました(もちろん表し方は違います。現在の右肩に小さく書く表し方は、前回少し登場したルネ・デカルト(1596-1650)=1637年=以降です)。
ネイピアのこの1-1/10000000は、例えば1-1/10=0.9などでは、値が1から離れ過ぎていることで急速に減少してしまい、いくらかけ合わせても三角比に対応する値が得られず、できる限り緩やかに減少する値を必要としたことによります。
オイラー(1707-1783)は、ヤコブ・ベルヌーイ(1654-1705)やライプニッツ(1646-1716)らが初めて言及した、自身の研究においても現れる
(1+1/n)^n (n→∞)
(1+h)^1/h (h→0)
の値を、二項定理を用いて正確な値まで求めました(オイラーはヤコブ・ベルヌーイの弟ヨハン・ベルヌーイから数学を学んでいます)。
この二項定理は、パスカルの三角形と共に、とても古くから考えられてきたもので、多くの数学者によって研究されてきたものです。パスカルの三角形は、ブレーズ・パスカル(1623-1662)が、自身の著書の中でこの不思議な数の並びである三角形について言及したことにより、この名で呼ばれることが多く、日本もその一つとなっています(古くからこの不思議な三角形の研究を継承する国や地域では、それぞれ異なる名で呼ばれています)。そして二項定理は、かの有名なアイザック・ニュートン(1643-1727)が、それまで研究されてきたものをオイラーが生まれる前(1665年頃)に一般化に成功しています(ニュートンの一般二項定理)。
オイラーはまた、
1-1/10000000
と言う、1より小さい1にとても近い数を用いたネイピアの対数に目を向けました。
それを何回かけ合わせ10000000倍しても、上限は10000000です。
では、分母の10000000と同じだけこれをかけ合わせたら、、、また更にその上限を「無限」と考えたらどうなるか。
上限が10000000である
1-1/10000000
を10000000回かけ合わせた数
(1-1/10000000)^10000000
=0.3678794229・・・
に対し、これを
(1-1/10000000)^10000000
≒(1-1/∞)^∞
と、10000000を∞に置き換えてみたのです。これは、ネイピアが既に、この数値に近い(その前後の)値を計算していたことが大きく影響したと考えられます。
一見 e の近似値
e=2.7182818284・・・
とは何ら関係がないように見える上の数字は、
1/e=0.3678794411・・・
に十分に近い値でした。
(1-1/10000000)^10000000
=0.3678794229・・・
をもう一度見てみましょう。
この値は、自らが求めた1/eより少し小さい値になっています。
と言うことは、その逆数の
(1-1/10000000)^-10000000
は、eより少し大きな値になっていることになります。
つまり、オイラーが求めた値はeの小さい方からeに近付き、上の式の場合はeの大きい方からeに近付いていることが分かります。
(1+1/n)^n (n→∞)は、eのそもそもの定義式ですが、実はこの式のnに何らかの値を順に代入してもなかなか近似しません。二項定理や極限、微分・積分等の様々な方向から得られた式から、eの値そのものが求められることが分かっています(もちろん無理数なので永遠に続く数ですが)。
この
(1+1/n)^n (n→∞)
(1+h)^1/h (h→0)
は、その後の数学において、とてもとても大きな一石を投じました。
ネイピアは単に三角比に対する値を対数としただけ、と言ってしまえばそれまでです。
ネイピア以前から
a^x × a^y=a^x+y
となることは知られていました。
しかし、今で言う指数部分だけを取り出すことによる
logxy=logx+logy
の式を与えたことが、結果その後の数学に革命を促したと言っても過言ではありません(それぞれ表記法は違います)。
そしてこれらのネイピアの功績に敬意を表し、この数学定数 e は【ネイピア数】と名付けられたのです。
ネイピアの時代には、指数関数も対数関数もありませんでした。それどころか、今では当たり前になっている、「関数に対する微分と積分は互いの逆操作である※」ことも発見されていません。この時代まで、微分学は微分学として、積分学は積分学として、それぞれ別のものとして研究、発展してきました。
この、微分と積分を融合した「※⇔微分積分法の基本定理」を発見したのは、ライプニッツとニュートンとされています。これにより、解析学が更に大きく発展します。もちろんそれは、ボナヴェントゥーラ・カヴァリエーリ(1598-1647)や、アイザック・バロー(1630-1677)らの功績も十分に加味されるべきでしょう。
また、現在使われている微分積分の表記法の内、dy/dxや∫などはライプニッツによるものであり、f ’ ,f ”,・・・などはジョゼフ=ルイ・ラグランジュ(1736-1813)によるものです。
また、ジェームズ・グレゴリー(1638-1675)からブルック・テイラー(1685-1731)、ニュートンを師と仰ぐコリン・マクローリン(1698-1746)へと繋がる、無限回微分できる関数が無限和で表されることの発見などもこの時代にありました。
そしてオイラーは、ニュートンと研究分野において深い関係を持っていたロジャー・コーツ(1682-1716)が発見した
log(cosx+i sinx)=ix
を昇華させ、のちに宝石とも称される公式
e^ix=cosx+i sinx
をも完成させました( i は虚数単位)。
このxにπ(パイ)を代入すると・・・
e^iπ=-1 ⇔ e^iπ+1=0
と言う、数学におけるすべての基本である
0,1,I ,π ,e を併せ持つ、世にも美しい式が現れます。
これがオイラーの等式です。
因みに、円周率を表す数学記号にπ(パイ)を与えたのもオイラーです。
これらのことすべてが、更に次の時代に引き継がれて行くことになります。
ジョゼフ・フーリエ(1768-1830)
カール・フリードリヒ・ガウス(1777-1855)
ベルンハルト・リーマン(1826-1866)
・・・・・・・
らが成しえた、現代数学の基礎となる理論も、当然数学の古い歴史から成り立つものですが、それはこれら1500年代からの幾多の天才たちから始まったと言っても過言ではないでしょう。
この1500年代から1700年代は、「数学は繋がりの学問である」ことを、最も色濃く印象付けた、数学の大変換点とも言える時代なのです。
余談ですが、ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)、ヨハネス・ケプラー(1571-1630)等々も、ジョン・ネイピア(1550ー1617)と同時代を生きた天才たちです。
どうでしょう。楽しんでいただけましたか。
現代の日本の中学・高校数学には、この時代に研究されたものが数多く導入されていることにも気付いてもらえたでしょうか。パスカルの三角形など、中学入試にももちろん登場します。
直接受験には関係なくとも、このようなことを知ることでまた、算数や数学に興味を持っていただけると嬉しく思います。
さて、次回更新は2月2日(木)頃の予定です。
それではまた!